戦後最悪の火山災害となった御嶽山の噴火から十二年余りが過ぎ、犠牲者の遺族が改めて気象庁を訪れました。ANN(テレビ朝日系)によると、遺族らは、多くの命が失われた当時の対応を検証し、その教訓を未来の火山防災に生かしてほしいとの思いから、気象庁側との面会に臨みました。長い年月を経てなお、あの災害をめぐる問いかけが続いていることを示す機会となりました。
この災害は、多くの登山者を突然襲ったものでした。ANNによると、二〇一四年九月二十七日、長野と岐阜の県境にある御嶽山が噴火し、山頂付近にいた五十八人が死亡したほか、今も五人の行方が分かっていません。紅葉の時期の週末で、多くの人が山頂を目指していた最中の突然の噴火であり、戦後最悪の火山災害として記録されることになりました。
十二年を経た今、遺族らが直接、気象庁を訪ねました。ANNによると、十日午後、この噴火で家族を亡くした遺族ら十四人が気象庁を訪れ、野村長官や、火山の監視を担当する職員らと意見交換を行いました。犠牲となった人々の家族が一堂に会し、当時の判断や対応について、当局側と向き合う場となりました。
面会では、当時の警戒のあり方に質問が集中しました。ANNによると、遺族からは、当時、気象庁が噴火警戒レベルを引き上げなかった理由について、質問が相次いだということです。もし事前に警戒レベルが上がっていれば、登山者への注意喚起につながり、被害を防げたのではないかという思いが、遺族の側には根強く残っています。
これに対し、気象庁側は当時の判断について説明しました。ANNによると、気象庁は、噴火の前に得られていた情報を総合的に判断した結果だったと説明した上で、噴火のあとには専門家の意見を踏まえ、警戒レベルの基準の適切な運用を進めてきたとしています。災害を教訓に、監視や基準の見直しに取り組んできたとの立場を示した形です。
それでも遺族の思いは、検証の必要性に向けられています。ANNによると、家族を亡くした人たちは、命を救えなかった当時の対応をきちんと振り返り、何が足りなかったのかを明らかにすることを求めています。子どもを失った父親をはじめ、遺族らは、単なる説明にとどまらず、当時の判断の経緯を丁寧にたどることの重要性を訴えました。
一連のやり取りは、火山防災のあり方を改めて問うものとなりました。ANNによると、遺族らは、御嶽山での経験を風化させず、これからの火山監視や避難のしくみに生かしていくよう求めました。多くの活火山を抱える日本にとって、噴火警戒レベルの運用や登山者への情報伝達をどう改善していくかが、引き続き大きな課題となっています。
