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山の上から始まった日本のゴルフ 百年をこえて根づいた文化とその現在地

高橋 蓮 高橋 蓮 rentakahashi.avalw.com · 222 reads Respect0 Save Share Read only
READS5live count PUBLISHED16 Sept2026 READING TIME1 min14 words LANGUAGEJapanese
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一九〇一年、神戸の六甲山に生まれた小さなコースから始まった日本のゴルフ。外国人の娯楽から国民的スポーツへ、世界二位のコース数と独特の打ちっぱなし文化、そして松山英樹のマスターズ制覇まで、百年をこえた歩みと今の課題を追う。

日本の郊外を車で走っていると、緑のネットに囲まれた背の高い施設や、山あいに広がる手入れの行き届いた芝生をよく見かける。ゴルフは今や、日本のスポーツ風景のなかに深く溶け込んでいる。しかしこの競技が海を渡ってこの国にやってきたのは、じつはおよそ百二十年前のことにすぎない。

六甲山から始まった一歩

日本におけるゴルフの歴史は、一九〇一年、神戸の六甲山の上に生まれた小さなコースから始まる。それを造ったのは、イギリスから来て神戸に長く暮らしていた、アーサー・グルームという人物だった。山を愛した彼が、この地にゴルフがないことを惜しんで、気の合う仲間とともにコースを切り開いたのだと伝えられている。

はじめは、わずか四つのホールしかない、じつにささやかなものだった。やがて一九〇三年には神戸ゴルフ倶楽部として正式に発足し、九ホールから十八ホールへと少しずつ整えられていった。標高の高い山の上という場所柄も相まって、そこは当時の日本では類を見ない、まったく新しい遊びの舞台となった。

日本人の手に渡ったゴルフ

当初、ゴルフはおもに日本に住む外国人たちのための娯楽だった。しかし時とともに、この新しい競技は少しずつ日本人の間にも広まっていくことになる。一九一三年には、アメリカでゴルフに親しんだ日本人たちの手によって、東京の駒沢に東京ゴルフ倶楽部が設けられた。ゴルフがいよいよ、日本人自身のものになり始めた瞬間だった。

とはいえ、その歩みは決して速いものではなかった。太平洋戦争が始まる一九四一年の時点でも、国内のコースはわずか二十三か所ほどにとどまっていたと言われている。ゴルフが一部の限られた人々の趣味から、広く国民に親しまれる存在へと変わっていくのは、戦後の復興と経済成長を待たなければならなかった。

世界有数のゴルフ大国へ

手入れの行き届いたグリーンと旗。日本には三千を超えるゴルフ場があり、その数はアメリカに次いで世界で二番目に多いとされる。
手入れの行き届いたグリーンと旗。日本には三千を超えるゴルフ場があり、その数はアメリカに次いで世界で二番目に多いとされる。

戦後、とりわけ高度経済成長やバブル経済の時代を通じて、日本のゴルフ人気は爆発的にふくらんでいった。全国各地に次々とコースが造られ、会員権が高値で取引され、接待や商談の場としても欠かせないものとなっていく。ゴルフはいつしか、豊かさやステータスの象徴のようにさえ語られるようになっていた。

その勢いは、数字にもはっきりと表れている。ある調査によれば、日本にあるゴルフ場の数はおよそ三千百を数え、これはアメリカに次いで世界で二番目に多いという。国土がそれほど広くないことを思えば、いかに多くのコースがこの小さな国にひしめいているかが、よくわかるだろう。

街にそびえる打ちっぱなし

日本のゴルフ文化を語るうえで欠かせないのが、街なかにそびえる「打ちっぱなし」、つまり練習場の存在だ。高いポールと網にぐるりと囲まれたその施設は、郊外の幹線道路沿いなどでひときわ大きく目を引く。コースにはなかなか行けない多くの人にとって、ここは日常的にクラブを振れる、大切な居場所となっている。

これらの練習場のなかには、二階建てや三階建てになっているものも珍しくない。打席にはボールを自動で並べてくれる機械が備えつけられ、次々と球を打ち込めるようになっている。限られた土地を上へ上へと積み上げて使うこの工夫は、いかにも日本らしい、独特の光景だといえるだろう。

松山英樹がひらいた扉

長い歴史を持つ日本のゴルフだが、世界の頂点はながらく遠い存在であり続けた。その重い扉を大きく押し開けたのが、松山英樹である。二〇二一年、彼は権威あるマスターズ・トーナメントを制し、男子として日本人で初めて、四大メジャー大会を勝ち抜いた選手となった。

それは、彼が十九歳のアマチュアとして初めてあの舞台に立ってから、ちょうど十年後の快挙でもあった。長らく待ち望まれてきた日本人メジャー王者の誕生は、国内のゴルフファンを大いに沸かせ、次の世代の選手たちにとっても、大きな目標と希望を指し示す出来事となった。

熱狂のあとの静かな課題

一方で、かつての熱狂がそのまま続いているわけではない。バブル期の勢いが落ち着いたあと、ゴルフを楽しむ人の数は伸び悩み、プレーする人々の高齢化も指摘されるようになった。多くのコースや練習場が、どうすれば若い世代を新たに呼び込めるのか、という難しい課題に向き合っている。

それでも近年は、服装や作法のハードルを下げたり、もっと気軽に楽しめる形を工夫したりと、新しい層を取り込もうとする動きも少しずつ広がっている。長い歴史のなかで深く根を張ったこの競技が、これからどう形を変えながら受け継がれていくのか、その行方が今、静かに問われている。

それでも続くグリーンの物語

山の上のわずか四ホールから始まった日本のゴルフは、百年あまりの時をかけて、この国の風景と暮らしのなかに深く根を下ろしてきた。青々としたグリーンの上で交わされる一打一打には、その長い歩みと、次の世代へと続いていく物語が、今も静かに刻まれ続けているのである。

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高橋 蓮 2026-09-16 · 1 min read · 5 reads
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