56歳のヨコタロウが「もう仕事は終わりだ」と漏らした言葉。しかし彼を現場に留め置くのは、意外な恐怖だ。
ヨコタロウは「もう仕事は終わった。もうやりたくない」と言った。これは冗談の域を超えた、ある種の告白に近い。2026年10月現在、彼は56歳。あのエミールの仮面の下で、ゲーム史に異質な痕跡を残してきた男が、自分のキャリアの「残りの人生」をそう呼んだのは、東京フランス文化協会で開催されたイベント「The Tenth Mosaic」でのことだった。
彼がそう語る背景には、すでに達成された「夢」がある。2003年にPS2向けにリリースされた『ドラケングアード』。彼が初監督として手にしたその一作で、彼は「当時自分ができる最高のもの」を世界に届けたのだと振り返る。ゲームオタクとして抱える「ずっと作りたかったものを世に出す」という夢が、実はあの時点で既に叶えられていたのだ。
その後の『ニーア オートマタ』やその他の作品は、彼にとって「残りの人生」で生み出された副産物のような位置づけにある。彼はこれらを、義務としてではなく、あくまで生きがいとして捉えているのである。つまり、彼にとってのキャリアの頂点は、2003年の時点ですでに確定しているという見方があるのだ。
ではなぜ、彼は今も制作の現場にいるのか。答えは、意外なほど現実的だ。貯蓄と年金があれば十分生活できると彼は考えている。だが、彼を駆り立てているのは金銭的な不安ではない。それは「認知症」への恐怖だ。定年後に発症したという話を耳にし、自分もそうなるかもしれないという不安が、彼を机の向こうに縛りつけているのである。
認知症への恐怖という、意外な原動力
彼はこの恐怖を、仕事に対するモチベーションに変換している。制作中に壁にぶつかったり、難しい状況に直面したりしたとき、彼は自分にこう言い聞かせる。「これは認知症予防にいい」。この独特の自己啓発、あるいは自己防衛の言葉が、彼の創作活動を支えているのだ。
彼は冗談半分で言うが、この「予防策」がなければ、彼はとっくに引退していたかもしれない。つまり、彼が今もなおエミールを被り、世界中のファンに「ニーア」シリーズを提供し続けている理由は、芸術的な野心よりも、脳の健康維持という極めて生理的な欲求に根ざしている可能性があるのだ。

「もうすぐ死ぬ」から、業界の未来は不要
日本のゲーム業界の将来について問われたとき、彼の答えは皮肉で満ちていた。「私はもうすぐ死ぬので、日本のゲーム業界がどうなろうと正直どうでもいい」。この死生観を前提に置いた発言は、彼が業界の趨勢やビジネスモデルにはすでに興味を失っていることを示唆している。
彼にとって重要なのは、業界全体の成功ではなく、自分が「今」何かを創造することだ。市場動向や流行を追うよりも、自分の内側から湧き上がる衝動に従って動く。このスタンスは、彼を商業的な成功から切り離し、純粋な創作の領域へと導いているのである。
しかし、彼は若いクリエイターの可能性には目を向けている。AIや各種技術の進化が、10代や20代の若者、つまり彼よりさらに若い世代が自由にものを作れる「育ち場」を生み出していると感じているのだ。彼自身の若い頃は、ゲームを作るには「ゲーム会社に就職するか」「PC用のニッチなゲームを作るか」の二択しかなかった。
その閉塞的な環境から、現在の技術的・文化的な自由への飛躍。彼はそれを楽観的に捉えている。かつては限られた選択肢しかなかったが、今は個人でも高品質なゲームを作れる時代になった。この変化は、彼のようなベテランにとっても、新たな刺激源となり得るものなのである。

エミールの仮面の下にある、等身大の人間
ヨコタロウは、エミールの仮面の下で、しばしば奇妙で、時に皮肉屋的な発言を繰り出すことで知られている。そのため、今回の「認知症予防」発言も、彼らしいユーモアの一部として受け取るべきだ。だが、そのユーモアの奥にある「夢はすでに叶った」「残りの人生をどう使うか」という自覚は、彼がゲーム業界の「神」ではなく、一つの「人間」として仕事と向き合っていることを如実に示している。
彼は、ゲームというメディアが、作り手自身の人生の延長線上にあることを示している。夢を叶えた後の人生をどう生きるか。それは、プレイヤーだけでなく、クリエイター自身も問われている課題だ。彼の「認知症予防」という言葉は、その問いに対する、彼なりの、そして少し滑稽な回答でもある。
「残りの人生」をゲームで埋めるという選択
彼が「もう仕事は終わった」と言いながら、それでも制作を続ける理由は、単なる義務感ではない。それは、自分が「できること」で世界と対話し続けることへの執着だ。AI時代という、かつてないほど自由で、かつ混沌とした環境の中で、彼は自分の「認知症予防」を兼ねて、まだ見ぬ作品を酝酿している。
彼の言う「残りの人生」は、まだ終わりを迎えていない。むしろ、技術の進化がもたらす新しい可能性の中で、彼はまだ何かを「創造」しようとしている。それは、彼にとっての「夢」の再定義かもしれない。あるいは、ただの「暇つぶし」かもしれない。いずれにせよ、エミールの仮面の下で、彼はまだ、この世と遊んでいるのである。

終わりなき創造と、静かな抵抗
彼の存在は、ゲーム業界において一種の異端であり、同時に不可欠な存在でもある。彼は既成の概念に縛られず、常に新しい表現を試み続けてきた。その姿勢は、認知症への恐怖という個人的な動機から生まれていても、結果として、プレイヤーに深い感動を与え続ける作品を生み出しているのだ。
ヨコタロウの言葉は、私たちに「創造とは何か」を問いかけている。それは、成功のためでも、名声のためでもない。ただ、自分の頭の中にあるものを形にし続けるための、純粋な行為なのである。彼は56歳という年齢を、衰えではなく、自由な表現の機会として捉えている。その視点こそが、彼の作品に独特の重厚さと深みを与えている要因なのである。
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