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「飛鳥・藤原の宮都」世界遺産に登録決定 古代日本の国家誕生を伝える奈良の遺跡群 CULTURE · JP

「飛鳥・藤原の宮都」世界遺産に登録決定 古代日本の国家誕生を伝える奈良の遺跡群

鈴木 翔太 鈴木 翔太 shotasuzuki.avalw.com · 288 reads Respect0 Save Share Read only
READS26live count PUBLISHED16 Sept2026 READING TIME1 min13 words LANGUAGEJapanese
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2026年7月、奈良県の「飛鳥・藤原の宮都」が世界遺産に登録された。飛鳥時代の宮殿跡や古墳、寺院跡など19の構成資産が、古代日本が中央集権国家へと歩んだ過程を今に伝える。

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2026年7月26日、韓国の釜山で開かれた第48回ユネスコ世界遺産委員会は、奈良県の「飛鳥・藤原の宮都」を世界遺産一覧表に記載することを決定した。これにより飛鳥・藤原は日本で22件目の世界文化遺産となり、自然遺産を含めた国内の世界遺産は27件を数えることになった。古代日本が国家としての姿を整えていった舞台が、人類共通の宝として国際的に認められた意義は大きい。

古代国家が生まれた舞台

登録の対象となったのは、奈良盆地の南部、橿原市・桜井市・明日香村にまたがって点在する19の構成資産である。宮殿の跡、役所の跡、仏教寺院の跡、そして古墳が、静かな田園の風景の中に良好な状態で保存されてきた。派手な建造物が立ち並ぶわけではないが、地中と地表に残された痕跡そのものが、この地が歩んだ歴史の重みを静かに物語っている。

飛鳥時代は、およそ592年から710年までの百年余りを指す。この時期に、日本列島はそれまでの氏族の連合体から、天皇を中心とする中央集権的な国家へと大きく変貌していった。飛鳥・藤原の宮都は、まさにその転換が起きた現場であり、7世紀を中心とする遺構の数々は、国のかたちが定まっていく決定的な瞬間を、今の私たちにありありと伝えている。

宮殿と都、そして律令国家

構成資産の中心をなすのが、630年以降に営まれた飛鳥宮跡と、694年に造営された藤原京の中枢である藤原宮跡である。藤原京は、中国大陸の都城制を参考にした本格的な条坊制の都であり、それまで天皇の代ごとに営まれてきた宮から、あらかじめ計画的に区画された恒久的な「都」へと移り変わる、大きな画期となった。

この時代に整えられたのが、律令と呼ばれる法体系に基づく統治の仕組みである。律令制は中国の行政制度を手本としながらも、日本の実情に合わせて丁寧に練り上げられ、天皇のもとで多くの役人が組織的に国を治める中央集権の骨格をつくり上げた。飛鳥・藤原の遺跡群は、その制度が少しずつ形になっていく過程を、具体的な遺構として今に示している。

仏教の受容と東アジアの交流

仏教の受容を象徴する仏像。飛鳥は大陸から伝わった信仰が根づいた地でもある(イメージ)。
仏教の受容を象徴する仏像。飛鳥は大陸から伝わった信仰が根づいた地でもある(イメージ)。

飛鳥は、日本に仏教が本格的に根づいた地でもある。日本で最初期の本格的な寺院とされる飛鳥寺をはじめ、本薬師寺跡、川原寺跡、檜隈寺跡といった寺院の跡が各地に残されている。大陸から海を越えて伝わった信仰と、それを支える建築や造形の技術が、この地で受け入れられ、やがて日本独自の形へと育っていった様子を、静かにうかがわせている。

ユネスコがこの遺産を高く評価した理由の一つは、日本列島と中国大陸、そして朝鮮半島との間で活発に交わされた文化の交流にある。建築や都市計画、さらには初期の仏教の受容といった分野において、東アジアの人々が海を越えて互いに影響を与え合った様子を、飛鳥・藤原に残る数々の遺構がはっきりと物語っていると認められた。

古墳が語る技と信仰

構成資産には、いくつもの古墳が含まれている。巨大な石を積み上げて築かれた石舞台古墳は、その豪快で力強い姿から、飛鳥を代表する遺跡としてよく知られている。牽牛子塚古墳や菖蒲池古墳といった古墳もまた、当時の人々が抱いた埋葬の思想と、それを実際に形にした高度な土木の技術を、今の時代に静かに伝え続けている。

数ある古墳の中でも、とりわけ広く注目を集めてきたのが、高松塚古墳とキトラ古墳である。両者の石室の内部には色鮮やかな壁画が描かれ、天文を示す図や、方位を守るとされる四神、装いを凝らした人物の像などが確認されている。これらの壁画は、当時の人々が宇宙や死後の世界をどのように思い描いていたのかを伝える、きわめて貴重な資料となっている。

さらに、660年に造られたと伝えられる水落遺跡は、水の流れを巧みに利用した時計、すなわち漏刻の跡と考えられている。時を正確に計り、人々の暮らしや政のあり方に秩序を与えようとした古代の知恵が、こうした遺構からも読み取れる。用途をめぐって今もなお議論が続く酒船石遺跡のように、解釈の定まらない謎めいた石造物も、この地には残されている。

田園に守られてきた遺産

飛鳥・藤原の宮都が高く評価されたもう一つの点は、その保存状態の良さにある。都がのちに別の場所へと移ったのち、この一帯は大規模な都市開発をおおむね免れ、長い年月にわたって農村としての穏やかな景観を保ち続けてきた。そのおかげで、地下に静かに眠る宮殿や役所、寺院、そして古墳の跡が、大きく損なわれることなく今日まで受け継がれてきたのである。

世界遺産への登録は、大きな栄誉であると同時に、これから先の長い責任の始まりでもある。国内外から多くの来訪者を迎え入れながら、静かな田園の景観と、地中に残された繊細な遺構とをどう守り伝えていくのか。保存と活用のあいだで難しい均衡をどう保つかが、地元の人々や関係者にあらためて問われることになるだろう。

飛鳥・藤原の宮都は、華やかさではなく、日本という国が形づくられた原点を伝える点にこそ、かけがえのない価値がある。地中に残された痕跡は、古代の人々が国のかたちを模索し、大陸の文化を受け入れ、独自の歩みを始めた時代の確かな証言である。世界遺産という新たな出発点に立ち、この地の記憶がより多くの人々へと受け継がれていくことが期待される。

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鈴木 翔太 2026-09-16 · 1 min read · 26 reads
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