今や世界中のメッセージに欠かせない絵文字。この小さな絵が、実は日本で、しかも厳しい技術的な制約のなかから生まれたことをご存じだろうか。その誕生の物語をたどる。
スマートフォンで誰かにメッセージを送るとき、私たちはごく自然に小さな絵を添える。にっこり笑う顔、真っ赤なハート、涙をこぼす顔。言葉だけでは伝えきれない微妙な気持ちを、その一粒の絵がふわりと補ってくれる。今では世界中の人々が使う、まさに国境を越えた共通の言葉になっている。
ところが、この絵文字が実は日本で生まれたものであることを知る人は、意外なほど少ない。しかもそれは、豊かな表現を求めてではなく、むしろ非常に厳しい技術的な制約のなかから、苦しまぎれのように生まれた工夫だった。今回は、この小さな絵に秘められた誕生の物語をひもといてみたい。
「絵文字」という日本語
まず面白いのは、絵文字という言葉そのものだ。世界中でエモジと呼ばれ、いまや英語圏でもそのまま通じてしまうこの単語は、もともとまぎれもない純粋な日本語である。絵を意味する「絵」と、文字を意味する「文字」を、ごく素直に組み合わせただけの、実にわかりやすい成り立ちの言葉なのだ。
ややこしいのは、この響きが英語の感情を意味する言葉とどこか似ている点だろう。そのため、絵文字は気持ちを表す言葉から来ていると誤解されることも多い。しかし両者にまったく関係はなく、あくまで偶然の一致にすぎない。名前からして、これは生粋の日本発の発明なのである。
一九九九年、百七十六個の始まり
物語がはじまるのは一九九九年、携帯電話でインターネットに触れられるようになった、まさにその黎明期のことだ。日本のある通信会社の新しいサービスのために、当時二十五歳だった栗田穣崇さんという若い技術者が、記念すべき最初の絵文字をデザインした。その数は、全部でちょうど百七十六個だった。
これらの絵文字は、はじめのうちは日本国内でしか使うことができなかった。海外の人々がその存在を知るのは、まだずっと先のことになる。けれども、この小さな百七十六個の絵こそが、今日私たちが世界中で使っている無数の絵文字すべての、いわば共通の祖先となったのである。
12のドットに込めた工夫
当時の技術的な制約は、今からは想像もつかないほど厳しいものだった。一つの絵文字に許された広さは、縦横それぞれわずか十二個の点、つまりドットだけ。この小さなますめの中に、喜びや悲しみ、天気や食べ物といった意味を、なんとか描き込まなければならなかったのだ。
驚くべきことに、百七十六個すべてを合わせても、その情報量はわずか三キロバイト程度にすぎなかった。ほんのわずかな点の集まりでありながら、そこには膨大な意味が凝縮されていた。栗田さんは、漫画の表現や天気予報の記号、ハートの印などから発想を得て、限られた点で豊かな感情を表現しようと知恵をしぼった。
世界へ広がった理由

生まれてから数年のあいだ、絵文字はもっぱら日本のなかだけの、いわばご当地文化のような存在にとどまっていた。会社ごとにデザインもばらばらで、そのままでは国境を越えて広がっていくのは難しい状況だった。世界共通の言葉になるには、もう一つ大きなきっかけが必要だったのである。
その転機となったのが、世界中の文字を統一的に扱うための国際的な仕組みに、絵文字が正式に組み込まれたことだった。これによってメーカーや国の違いを越えて共通の絵文字が使えるようになり、折しも普及しはじめたスマートフォンに乗って、絵文字は一気に世界中へと羽ばたいていった。
美術館に収まった小さな絵
その文化的な価値は、いまや芸術の世界からも認められている。最初に作られた百七十六個の絵文字は、ニューヨークにある名高い近代美術館の収蔵品となり、二〇一六年には実際に展示も行われた。ささやかな通信の道具が、時代を映すデザインの傑作として評価されたのだ。
小さな画面の制約と格闘するなかで生まれた、たった百七十六個の点の絵。それが国境も言語も越えて、世界中の人々が日々やり取りする気持ちの言葉になった。次に何気なく絵文字を一つ選ぶとき、その背後にある日本発の小さな物語を、少しだけ思い出してみてはいかがだろうか。

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