経済協力開発機構の調査で、日本人の睡眠時間は加盟国の中で最も短いことがわかっている。世界一眠らない国で静かに積み重なる「睡眠負債」と、それが心と体、そして社会全体にもたらす代償を、介護の現場を歩く記者の視点から見つめ直す。
日が暮れても街の明かりは消えず、深夜のコンビニやオフィスには人の気配が絶えない。勤勉さの象徴のように語られてきたこの光景の裏側で、私たちはいつのまにか世界でもっとも眠らない国民になってしまった。介護の現場を歩いていると、睡眠の乱れが人の心と体を静かにむしばんでいく様子を、いやというほど目にする。
世界一眠らない国
経済協力開発機構、いわゆるOECDの調査によれば、日本人の平均睡眠時間は加盟国の中で最も短く、七時間二十二分ほどにとどまるという。これは全体の平均である八時間二十四分より、実に一時間近くも短い数字である。世界の人々が当たり前のように確保している眠りを、どうやら私たちだけが削り続けているらしい。
なぜこれほどまでに眠りが短いのか。長い通勤時間、遅くまで続く残業、そして布団に入る直前までスマートフォンの光を浴び続ける暮らし。仕事や家事に追われ、一日の最後にようやく訪れる自分だけの時間を惜しむあまり、多くの人が睡眠を後回しにしてしまう。眠りは削ってよいものだという思い込みが、社会の隅々にまで深く根を張っている。
眠れない四十代

厚生労働省の調査では、二十代以上のおよそ四割が睡眠時間は六時間未満だと答えている。とりわけ深刻なのが働き盛りの世代で、四十代に至ってはおよそ半数が、六時間に満たない眠りのまま日々を過ごしているという。人生でもっとも忙しい時期に、体を休めるための時間が真っ先に削られてしまっているのだ。
この世代は、職場での重い責任を背負いながら、幼い子どもの世話と年老いた親の介護を同時に担うことも決して珍しくない。いわゆる板挟みの世代である。誰かのために時間を使い続けるうちに、自分自身の眠りだけが後回しにされ、気づいたときには慢性的な寝不足がすっかり当たり前になってしまっている。
「睡眠負債」という静かな借金
近年、専門家がしきりに口にするようになったのが「睡眠負債」という言葉だ。毎晩少しずつ足りない眠りは、その日のうちに消えてなくなるわけではなく、返済されないまま静かに積み重なっていく。まるで自覚のないまま膨らんでいく借金のように、私たちの体の奥深くへと、じわじわと蓄積されていくのである。
厄介なのは、この負債が週末の寝だめだけでは簡単に帳消しにできない点にある。平日に削り続けた眠りを土日にまとめて取り戻そうとしても、体内時計はかえって乱れ、月曜の朝がいっそうつらくなることも多い。少しずつでも毎日の眠りを整えていくことこそが、遠回りに見えて実は最も確実な返済の道になる。
体をむしばむ寝不足
睡眠不足がもたらすのは、翌日の眠気や集中力の低下といった一時的な不調だけではない。さまざまな研究によれば、慢性的な寝不足は肥満や糖尿病、そして高血圧の危険を繰り返し高めることが示されている。眠りが足りない体は、食欲を調整する仕組みや血糖のバランスまで少しずつ狂わせ、気づかぬうちに病へと近づけてしまうのである。
その影響は心の健康にも及ぶ。眠れない日々が続くと、気分の落ち込みや動脈硬化との関連が指摘され、長い目で見れば寿命にまで影を落としかねない。とりわけ高齢期には、睡眠の乱れが物忘れや認知機能の衰えと結びつくとも言われており、介護の現場に立つ者としても、とても見過ごすことのできない問題だと感じている。
十八兆円という代償
寝不足の代償は、決して個人の体調だけにとどまらない。ある試算では、睡眠不足による集中力や生産性の低下が、二〇二五年の一年間で日本全体におよそ十八兆円もの経済的な損失をもたらしたとされている。眠らないことは美徳どころか、社会全体で見れば途方もない浪費になってしまっているのだ。
睡眠科学の最前線に立つ日本
皮肉なことに、世界一眠らない国でありながら、日本は睡眠研究の最先端を走る国でもある。筑波大学の国際統合睡眠医科学研究機構をはじめ、眠りの仕組みそのものを解き明かそうとする世界的な研究が国内で日々進められている。私たちは眠りの大切さを、本来なら誰よりもよく知る立場にいるはずなのである。
今夜からできること
難しく考える必要はない。毎日できるだけ同じ時刻に起きて朝の光をしっかり浴び、寝る前にはスマートフォンの強い明かりや夜遅い時間のカフェインをできるだけ控える。たったそれだけの小さな心がけでも、乱れてしまった体内時計は少しずつ整っていく。特別な道具も費用もいらない、誰にでも今夜から始められるささやかな習慣である。
眠りは、健康という建物を土台の部分で静かに支える柱のようなものだ。高齢化が進み、誰もが長く元気に生きたいと願う時代だからこそ、決して削るべきでない時間として睡眠を捉え直したい。今夜は少しだけ早く明かりを消し、自分の体に十分な休息を贈るところから始めてみてはどうだろうか。

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