涼しく紅葉も美しい秋は、森を歩くのにうってつけの季節です。日本で生まれた「森林浴」という言葉は、いまや世界にも広まりました。ストレスホルモンの低下や免疫細胞の活性化など、研究が示す森の力と、その上手な楽しみ方を、あらためて見つめ直します。
厳しい夏の暑さがようやく和らぎ、木々が色づきはじめるこの季節は、森の中をゆっくりと歩くのにまさにうってつけの時期です。澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込みながら緑の中に身を置くと、それだけで心と体がすっと軽くなるように感じられるのは、多くの人が経験したことのある感覚ではないでしょうか。
日本で生まれた言葉
こうして森の空気を浴びる「森林浴」という言葉は、実は一九八二年に日本の林野庁が提唱した、比較的新しい和製の言葉です。長野県の自然休養林で開かれた催しがそのはじまりとされ、いまでは海を越えて世界中に広まり、各国で健やかな習慣として親しまれるようになっています。
森林浴と聞くと何やら特別なもののように思えるかもしれませんが、そこに難しい道具や技術はいっさい必要ありません。ただ森の中でゆったりと時間を過ごし、目や耳、鼻といった五感を働かせて、豊かな自然そのものをじっくりと味わう。それだけで、私たちの心身は少しずつ整えられていきます。
鍵を握るフィトンチッド
森の中に一歩足を踏み入れたときに感じる、あの独特のすがすがしい香り。その正体は、フィトンチッドと呼ばれる樹木が放つ揮発性の成分だと考えられています。とりわけヒノキやスギ、マツといった針葉樹に多く含まれ、森全体を清らかな香りで満たしています。
このフィトンチッドは、もともとは樹木が有害な菌や虫などから自らの身を守るためにつくり出している物質です。ところが、その香りを人間が浴びると、心を落ち着かせたり体の調子を整えたりと、思いがけずさまざまな良い影響をもたらしてくれることが分かってきました。
科学が示すリラックス効果

森林浴がもたらす効果は、けっして気のせいではありません。千葉大学の宮崎良文氏らの研究では、森の中で過ごすと、唾液に含まれるストレスホルモンの一種であるコルチゾールが低下し、血圧が下がり、心身をリラックスさせる副交感神経の働きが優位になることが、実際の数値として確かめられています。
同じ人が都市の中で過ごした場合と比べても、森の中にいるときのほうが心身が落ち着き、穏やかな状態になることが繰り返し示されてきました。慌ただしい日常やストレスに囲まれて暮らす現代の私たちにとって、これはたいへん心強い研究結果だといえるでしょう。
免疫にも働きかける
森の力は、心を落ち着かせるだけにとどまりません。日本医科大学の李卿氏の研究によれば、森林浴のあとには、体内で異常な細胞などを攻撃するNK細胞と呼ばれる免疫細胞の働きや数が高まり、しかもその効果はおよそ一か月ものあいだ続いたと報告されています。
ここでも、樹木が放つあのフィトンチッドが大きな役割を果たしていると考えられています。室内にこもりがちで、運動も不足し、ともすればストレスをためこみやすい現代の私たちの暮らしにおいて、ときおり森へと出かけるというひとつの何気ない習慣が持つ意味は、思いのほか大きいものなのかもしれません。
上手な森林浴の楽しみ方
森林浴を楽しむのに、難しいことは何もありません。まずは手元のスマートフォンをそっとしまい、いつもより歩みをゆるめて、ゆったりと深呼吸をしてみましょう。木漏れ日のきらめきや小鳥のさえずり、土や落ち葉の香りを五感でじっくり味わえば、たとえ短い時間でも心はほどけていきます。
ただし、こうした効果の感じ方には当然ながら個人差があり、森林浴はあくまで医療そのものの代わりになるわけではありません。その日の天候や自分の体調に合わせて決して無理をせず、こまめな水分補給や歩きやすい服装といった備えも、忘れずに整えておくことが大切です。
秋こそ森へ
涼やかな風が吹き、紅葉が山々を鮮やかに染めるこの秋は、一年のうちでも森林浴にもっとも適した季節のひとつです。遠くの深い山へ出かけずとも、近所の公園の木立や身近な緑の中でも十分に楽しめます。この秋はぜひ、森のすがすがしい空気を胸いっぱいに吸い込んでみてはいかがでしょうか。

Keep subscribing to 青木 直樹Her next filing reaches you the moment it publishes, on her own subdomain.
Subscribe
